日勤・夜勤からの残業…。年配看護師のストレス発散、押し付けの餌食に
わたしがこの病院に働くことになったきっかけというのは、附属の看護附属の看護学校に通っていて、実家が貧乏なこともあり、その奨学金を借りていたためです。奨学金の返済をしなくてもよいかわりに、3年間の勤務が義務づけられるもので、この分野ではよくある奨学金制度だと思います。何の疑いもなく、お金の工面の問題から借りることになりました。
勤務先の病院は俗にいうブラック、残業は当たり前の辛い3年間
まず、勤務し始めて一番ブラックだと感じたのが、その勤務時間の長さと勤務形態です。主婦や中堅以降の年配看護師が多い病院で、みんな残業を嫌がります。そこで犠牲になるのが単身者の若い看護師です。年配の看護師が定時で帰っても、若手の3時間の残業は当たり前。自分の仕事が終わって、年配の看護師の仕事が残っている場合、病棟の裏のルールのようなもので、まず帰してもらえません。手伝うのが当たり前。感謝されないことも多くあります。
また、三交代制の勤務形態ではありましたが、日勤をしてからの深夜勤務というのが本当にきついです。3時間残業をしたあとに、深夜業務の準備をして一時間ほど睡眠をとり、また勤務へ。深夜勤が終わっても定時では帰れずまた3時間は残業です。休日の研修会も非常に多く、やはり駆り出されるのは家庭のない単身者でした。
どのくらいの期間我慢したか、ですが、三年目の春に思わぬ妊娠が発覚。しばらく働いていたのですが、切迫流産となりかなり早めに産休に入ることになりました。現在産休で休みをいただいている状態です。
辛い職場を3年間も我慢できたのは、偏に同僚のお陰であったと今は思っています。
なぜ三年目まで我慢できたか、考えてみるとやはり一緒に入社した同僚たちのおかげだと思います。つらい環境だからこそ愚痴を言い合い、ストレス発散をして助け合うことごできました。
給料ですが、1年目で残業代をつけれなかったときには20万足らずでした。2年目以降は残業代や、やたらと回数が多い夜勤手当てのため24万から28万ほどもらえていましたが、勤務時間が長い割には、もらえてない方だと思っています。
上司は若手の現状を理解していても、自分も通った道だからかストレス発散のためだからか、何も言わず仕事を押し付けるのが当たり前の雰囲気でした。所謂パワハラの様な状態に後輩・同僚も裏では愚痴を言いながらも、その状態を受け入れるしかなかったです。
今では早めの産休に入り、ストレスフルな生活からノンストレスな生活に一気に変化しました。ストレスがない、自分の好きな事ができる時間があるというのが、こんなに幸せな事なのかとかみしめています。旦那の給料との兼ね合いで、出産後1年の育休をはさんでまた復帰する予定です。奨学金返済のためにあと1年は働かないといけないですし。今から復帰後の生活が怖いですが、使える制度を精一杯利用して、外来の勤務で復帰していきたいと考えています。